「ひとりになりたい」誰だって、同じ心理になるものさ。

人、組織、社会・・・さまざまなしがらみにもまれて疲れ切った男が「ひとりになりたい」と願望をほんの少しだけ叶えようとするブログです。「こんなこともあるぞ」と教えてもらえたら、即実践するだけのバイタリティは残っています。

ストレス蓄積に気づかない恐ろしさ

 

ストレス解消?海辺にて

ストレス解消?海辺にて

 

 

 

30代や40代ともなれば、職場や家庭で様々なストレスを抱えてしまいます。

 

 

かくいう僕も、知らぬ間にストレスを抱えてしまっていたようで、

同僚に「どうかしたのか?」と言われる有様です。

そう、ストレスにつぶされている状態、それが今の僕なのです。

 

 

本人が気づかないまでも、周りは気づくこともあるようです。

実際に同僚から言われた「気づかない自分の変化」があったのです。

 

 

〇言葉が汚くなる

 

 僕自身が「死ね」とか「くたばれ」とかつぶやいたことがあるそうです。

 普段はそんな言葉を使うことがないのに、です。

 ちなみに、僕はその言葉を意図して使ったつもりがないのです。

 無意識に汚い言葉を吐いているというのは怖いですね。

 

 

〇気が大きくなる

 「失敗したらどうしよう」と言っている人間が、

 「失敗したら辞表でも出してやらあ」といい、実際に書き始める。

 「お守り代わりに」と書いた辞表を持ち歩く。

 自分としては責任を果たすための自分への戒めのつもりが、

 周りから言わせると「気が大きくなりすぎ」と捉えられたようです。

 

 

〇表情が無くなる

 「ジョークを言わなくなる」というのも同類項かと。

 そりゃあ、仕事が忙しかったりすればジョークなんて言えないでしょう。

 それに、同じ職場にストレッサーがいたら、なおさらです。

 僕の場合、ジョークを言ったつもりの同僚に対して「すみません」と。

 ジョークをジョークとして受け止められていないことがわかり、

 周りが心配してしまったという事実があります。

 

 

そもそも、ここまでのストレスを抱えていてなぜ気づかないのか。

 

 

言ったってしょうがない。

そんな環境だからです。

 

 

同僚の中には「合理的な配慮」を主張する人も多いのです。

 

 

障害者権利条約の第2条に「合理的な配慮」の定義があります。

 

 

障害者から何らかの助けを求める意思の表明があった場合、過度な負担になり過ぎない範囲で、社会的障壁を取り除くために必要な便宜のことである。

 

 

過度な負担でストレスを抱えて倒れる人間を、法律は守ってくれるのでしょうか。