なんでも「そだねー」で済めば、世の中そんなにギスギスしないと思う。
LS北見のみなさんが使うからよかったのだと思います。
考えてみると、世間は「そだねー」では済まないぐらい、
ギスギスしていると思いませんか。
正直、平成の世になって、時がたてばたつほど、
他人に寛容になれない社会になってしまっている気がしませんか。
寛容になれと言っても、
悪事を許せと言う意味ではないですよ。
他人の失敗に寛容であり、
他人の誤解に寛容であり、
他人の思い違いに寛容である。
そういう時代もあったのに、平成はそうではなくなった、と言いたいのです。
かつての日本は、失敗しても再チャレンジして経験を積み、
そのことを評価する余裕もあったと思います。
「失敗は成功の元」「苦労は買ってでもしろ」などと、
経験の尊さをみなが理解していた時代もあったと思います。
ですが、平成は変わってしまった。
個人主義の台頭によって、組織のあり方は変容しました。
組織とは、共通の目的を達成するために自らを駒とすることをいとわない、
そんな昭和的な考え方はもう無くなり、
個人の実益と成果を尊重しつつ、同じ方向性を持ってモチベーションとし、
結果的に会社が、組織が利益を得る考え方にチェンジしています。
LS北見のみなさんが「そだねー」と語りあうのは、
共通の目的を確認するための相づちであることはもちろんですが、
誰かの意見を受け止める寛容さを表す「そだねー」でもあったと思うのです。
自分に自信がない人が多くなって久しい世の中。
嫌われたらどうしよう、誤解されたらどうしようと、
意見を言うことすらできなくなってしまった、平成の日本人。
どんな意見であっても「そだねー」と相づちを打てる、
そんな社会が再び訪れてくれれば、
かつての寛容な社会が帰ってくるのではないかと思います。
いっそのこと、自信を無くしてしまった日本人たちに、
チコちゃんが叱ってくれれば、少しは時代も変わるかな。